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筆跡研究

2022年10月31日
電子書籍(タブレットなど)での読書などを、全国学校図書館協議会の学校読書調査でわかったという記事が読売新聞に掲載されていました。

また、情報検索や図や表の表示するにはデジタルの方が優位で、分かりやすさや書き込みができるのが紙の教科書。そこでその使い分けが課題のようである。

私も大学で「生徒指導論」の講義を後期に15回行っているが、文部科学省が編纂の「生徒指導提要」を教科書としているが、現在は絶版のようである。文科省のホームページに掲載されているのでそれを紹介し使用しているが、いくつかに分かれて掲載されているが紙の本と違って探すときは手間が紙の本よりかかってしまう。ダウンロードして印刷すればよいのだが、それとて手間と紙代がかかってしまう。以前の紙の「生徒指導提要」は300円以下であった。文科省ホームページの該当ページを提示しながら、できるだけ書く作業を入れた授業にしている。これはやはりデジタルは内容が定着しにくい傾向があり、書くことでまとめる努力や筆触(デジタルではタブレットペンではすべって抵抗感がなく、キーボードでは変換という過程を経ていくため直接的ではない)による反発によって記憶に残りやすいと考えるからである。

関連の読売新聞の記事

小中高生、電子書籍に比べ「紙の本読みやすい」…読書傾向調査 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

紙の教科書「書き込みやすい」デジタル「情報集めやすい」…文科省、小中学生アンケート公表 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

電子書籍(タブレットなど)での読書などを、全国学校図書館協議会の学校読書調査でわかったという記事が読売新聞に掲載されていました。 また、情報検索や図や表の表示するにはデジタルの方が優位で、分かりやすさや書き込みができるのが紙の教科書。そこでその使い分けが課題のようである。 私も大学で「生徒指導論」の講義を後期に15回行っているが、文部科学省が編纂の「生徒指導提要」を教科書としているが、現在は絶版のようである。文科省のホームページに掲載されているのでそれを紹介し使用しているが、いくつかに分かれて掲載されているが紙の本と違って探すときは手間が紙の本よりかかってしまう。ダウンロードして印刷すればよいのだが、それとて手間と紙代がかかってしまう。以前の紙の「生徒指導提要」は300円以下であった。文科省ホームページの該当ページを提示しながら、できるだけ書く作業を入れた授業にしている。これはやはりデジタルは内容が定着しにくい傾向があり、書くことでまとめる努力や筆触(デジタルではタブレットペンではすべって抵抗感がなく、キーボードでは変換という過程を経ていくため直接的ではない)による反発によって記憶に残りやすいと考えるからである。 関連の読売新聞の記事 小中高生、電子書籍に比べ「紙の本読みやすい」…読書傾向調査 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp) 紙の教科書「書き込みやすい」デジタル「情報集めやすい」…文科省、小中学生アンケート公表 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

2022年6月29日

最近、俳句や短歌のくずし字や書簡の解読依頼が多くありました。そこでインターネット検索で江戸時代の俳人の書簡集を見つけましたので購入しました。手紙の写真と翻刻、注釈付きでくずし字の学習にも最適です。またその当時の生活なども知ることができ「へえ~」と悦に入っています。森川許六や小林一茶の書簡もありますが、私にとっては知らない俳人が多数です。でもそれぞれに個性ある筆跡で筆跡分析をしてどんな人物像であったか、筆跡から行動を探る作業をしている関係で興味深い書物でした。もっと早く知っていればよかったと思いました。くずし字を解読して知らないことが多く、自分の未熟さを思い知らされると同時に昔の人のすばらしさに触れることもできます。

それぞれの人物による筆跡の個性の違いと生活がうかがえる資料


2022年3月26日
記憶を引き出す時の手がかりが「書くこと」には多い。

  1. 腕や手を動かして筆記する「運動」要素
  2. その場で自分の目で見てどこにどう描くかという「視覚」要素
  3. 言葉を見える文字にして外に出して確認する「自己参照」要素

記憶のメカニズムについて

短期記憶と長期記憶

「記憶」という働きは、「記銘」(情報を受け取る)⇒「保持」(情報を保つ)⇒「想起」(必要に応じて呼び出す)という3段階になっているそうです。「もの忘れ」はおもにこのプロセスの「想起」の機能低下だそうです。

大脳の奥深いところにある「海馬」と記憶

目や耳などの感覚器から入ってきた情報は脳の「海馬」という部位で一時的に保管されますが、そのほとんどが消え去るそうです。

しかし、繰り返し口に出したり、思いだしたりすることによってかたちづくられた情報だけが、大脳皮質へ送られて、そこに刻み込まれるのだそうです。

記憶は保持される時間によって「短期記憶(数秒から1分ほど)」と「長期記憶(数分から年単位)」に分けられるということはお聞きになったことがあるかと思います。「海馬」の容量は小さいが、大脳皮質の容量は大きいのだそうです。

人の顔は覚えているが名前が出てこない、つい先ほど食べたものが思い出せない、少し移動したら何をしに来たかわからなくなった等、ご経験がある人もいるかと思います。認知症になると今に近いほうから記憶が消えていくようです。

しかし、自分が昔、手足を動かし、身につけた行動や技術は衰えはすることがありますが、そう忘れるものではないようです。自転車の乗り方など、歳をとると体力から困難になることもありますが。

長期記憶は「陳述記憶」と「手続き記憶」の2つに分けられる。

陳述記憶とは、「海馬」を使い、言葉やイメージで表すことのできるもので、学習による意味記憶(知識に関するもの)と体験によるエピソード記憶(主観的な思い出)があるそうです。

「手続き記憶」とは「大脳基底核」と「小脳」を使うため、記憶障害になっても失われにくいと考えられています。例として、ピアノの演奏、スキーの技術、自転車の乗り方、水泳の泳ぎ方、けん玉のコツなど身体で覚えた「動作や技術の記憶」だそうです。

以上、参照:Eisai「もの忘れの教室」

手や腕でしかも毛筆という扱いにくい用具を使い、技術を習得すること、そして言葉を文字で筆記することは「記憶」に深く関係しています。

いかがでしょうか?古文書を小筆や筆ペンで書くということは、脳の活性化や記憶に非常に良いと思いませんか?

是非、体験をしてみてください。筆跡研究所でもお待ちしています。

記憶を引き出す時の手がかりが「書くこと」には多い。 腕や手を動かして筆記する「運動」要素 その場で自分の目で見てどこにどう描くかという「視覚」要素 言葉を見える文字にして外に出して確認する「自己参照」要素 記憶のメカニズムについて 短期記憶と長期記憶 「記憶」という働きは、「記銘」(情報を受け取る)⇒「保持」(情報を保つ)⇒「想起」(必要に応じて呼び出す)という3段階になっているそうです。「もの忘れ」はおもにこのプロセスの「想起」の機能低下だそうです。 大脳の奥深いところにある「海馬」と記憶 目や耳などの感覚器から入ってきた情報は脳の「海馬」という部位で一時的に保管されますが、そのほとんどが消え去るそうです。 しかし、繰り返し口に出したり、思いだしたりすることによってかたちづくられた情報だけが、大脳皮質へ送られて、そこに刻み込まれるのだそうです。 記憶は保持される時間によって「短期記憶(数秒から1分ほど)」と「長期記憶(数分から年単位)」に分けられるということはお聞きになったことがあるかと思います。「海馬」の容量は小さいが、大脳皮質の容量は大きいのだそうです。 人の顔は覚えているが名前が出てこない、つい先ほど食べたものが思い出せない、少し移動したら何をしに来たかわからなくなった等、ご経験がある人もいるかと思います。認知症になると今に近いほうから記憶が消えていくようです。 しかし、自分が昔、手足を動かし、身につけた行動や技術は衰えはすることがありますが、そう忘れるものではないようです。自転車の乗り方など、歳をとると体力から困難になることもありますが。 長期記憶は「陳述記憶」と「手続き記憶」の2つに分けられる。 陳述記憶とは、「海馬」を使い、言葉やイメージで表すことのできるもので、学習による意味記憶(知識に関するもの)と体験によるエピソード記憶(主観的な思い出)があるそうです。 「手続き記憶」とは「大脳基底核」と「小脳」を使うため、記憶障害になっても失われにくいと考えられています。例として、ピアノの演奏、スキーの技術、自転車の乗り方、水泳の泳ぎ方、けん玉のコツなど身体で覚えた「動作や技術の記憶」だそうです。 以上、参照:Eisai「もの忘れの教室」 手や腕でしかも毛筆という扱いにくい用具を使い、技術を習得すること、そして言葉を文字で筆記することは「記憶」に深く関係しています。 いかがでしょうか?古文書を小筆や筆ペンで書くということは、脳の活性化や記憶に非常に良いと思いませんか? 是非、体験をしてみてください。筆跡研究所でもお待ちしています。

2022年2月12日
「鉛筆は人をことばに導いてくれる道具なんだ」長田 弘さん
「えんぴつを持つと書きたくなる
 書きたくなくても 書きたくなる
 なんでだろう
 てがおぼえているからかな」

2011年8月25日(木)の読売新聞「こどもの詩」に載っていた、岐阜県海津市の小学4年生の栗田 真由さんの「えんぴつ」という題の詩です。

たしかに、幼児も子どもたちも、クレヨンや鉛筆を持つと何かを書きたくなりますね!もちろん大人も!

先ほどの詩への選者の長田 弘さんが明快に答えています。

「鉛筆はね、人がことばを書くための道具じゃない。人をことばに導いてくれる道具なんだ」と。

筆記具で文字をというより言葉を書き、自分の思いを書こうとしてもなかなかぴったりとはまる言葉は出てこないことがある。短歌を詠んで書いても何度も推敲し、どうにか少し良くなったというところまで行くが、なかなかフィットする言葉に導かれないことが多いが、徐々に近づく感覚を味わうことができる。

今日もまた、くずし字を解読時の鉛筆や書の臨書での毛筆、硬筆練習でのペン等と筆記具を持ち、毛筆や万年筆、鉛筆の濃さによる用具の違いによって用途や気分が相当変わることを実感してる。


2021年12月24日
書くという行動は、とても能動的です。脳の活性化につながります。

書くという行動は、聞くという行動や見るという行動に加えて、アウトプットする行動が加わります。「聞いたことをメモする」「見たものを文字にして書く」「考えを書く」などですが、そこではさらに書くという行動をしようするその意志や意欲がなくてはなかなか行動に結びつきません。まして文字を習うという場合は、手本を詳しく観察するための観察力や空間把握など様々な脳の部位を使って、さらに自分の腕や指を駆使して、どの位置に書くかなどの自分の決断、どのくらいの長さに書くかなどの持続力、どこまでで止めるかの断念という一連の行動とどのような文字を使うのが適切か等も考えながら書き進めていきます。さらにただ単に文字を書くだけでなく、その文字にまつわる様々なイメージや思い入れ等の心理的な影響によって筆圧や文字の大きさ、スピードなど様々要素も加わっています。これはパソコンのキーボードを打つ動作やスマホの文字を選ぶというのとは大きく異なります。書くという行動は脳の様々な場所に影響を与えている、とても能動的な行動なのです。


2021年10月3日
俳句を主宰している友人から俳句や短歌などの短冊色紙などたくさんいただきました。くずし字の学習に活用くださいとのことでありがたく感謝しています。

これから解読できたものから順次掲載します。まず初めに斎藤茂吉の短歌の色紙です。変体仮名が使われています。これは茂吉の記念展に於ける複製です。

明治33年の「小学校施行規則」で仮名が一音一字に決められた結果、現行のひらがなとカタカナになりました。それ以外の字体(あ:阿・愛・悪・亜など)は「変体仮名」と呼ばれ、教育現場では指導されなくなりました。もちろんすべてすぐに一音一字になったのではなく、社会生活においては変体仮名を学んだ人たちは使っていたわけです。現在ではほとんど読めない状況になってしましました。

くずし字解読

さて、上掲の歌は、斎藤茂吉「ふ(婦)りさけて 峠を(乎)見れ(連)ば(盤) 現身は(者) 低きにより(里)て  山を越えにき 茂吉」です。

簡単な意訳

斎藤茂吉歌集「たかはら」昭和5年、高野山で開かれたアララギ安居会(あんごえ)に参加したときの歌で、「紀見峠遠望」と註がある。意訳すると、遠く仰ぎ見ると峠か見える、そこで生きている人々は山の低いところを通って苦労を少なくするために苦心して道路を作り行き来をして生活していたのだなという気付きを詠んだ歌

茂吉の筆跡と行動傾向

さて、色紙の書き方をみて、揮毫するという行動から、同じ行動である、話す、歩く、食べるなど共通の日常に於ける行動スタイルを少し、推察してみましょう!もちろん色紙揮毫という日常とは違う意識も働いていることになりますが、これは特に何かを構えて意識したときの行動、対人関係の表れになるかと思います。

斎藤茂吉は、この色紙では、一文字一文字、上下左右や文字間を等間隔にきちんと並べて配置する書き方です。これは全体への配慮や文字と文字の間をあけて落ち着いた書き方です。一つ一つ確実に計算して訂正に行動する傾向が見えます。几帳面といってよいでしょうか?

茂吉の性格をネット検索すると、何事も準備を十分にし、独自の価値観を持ち、とことん極める傾向があるようです。半面、他人に厳しい面もあります。行書体で書かれていますので、感性も感情も豊かな面もあるようです。

俳句を主宰している友人から俳句や短歌などの短冊色紙などたくさんいただきました。くずし字の学習に活用くださいとのことでありがたく感謝しています。 これから解読できたものから順次掲載します。まず初めに斎藤茂吉の短歌の色紙です。変体仮名が使われています。これは茂吉の記念展に於ける複製です。 明治33年の「小学校施行規則」で仮名が一音一字に決められた結果、現行のひらがなとカタカナになりました。それ以外の字体(あ:阿・愛・悪・亜など)は「変体仮名」と呼ばれ、教育現場では指導されなくなりました。もちろんすべてすぐに一音一字になったのではなく、社会生活においては変体仮名を学んだ人たちは使っていたわけです。現在ではほとんど読めない状況になってしましました。 くずし字解読 さて、上掲の歌は、斎藤茂吉「ふ(婦)りさけて 峠を(乎)見れ(連)ば(盤) 現身は(者) 低きにより(里)て  山を越えにき 茂吉」です。 簡単な意訳 斎藤茂吉歌集「たかはら」昭和5年、高野山で開かれたアララギ安居会(あんごえ)に参加したときの歌で、「紀見峠遠望」と註がある。意訳すると、遠く仰ぎ見ると峠か見える、そこで生きている人々は山の低いところを通って苦労を少なくするために苦心して道路を作り行き来をして生活していたのだなという気付きを詠んだ歌 茂吉の筆跡と行動傾向 さて、色紙の書き方をみて、揮毫するという行動から、同じ行動である、話す、歩く、食べるなど共通の日常に於ける行動スタイルを少し、推察してみましょう!もちろん色紙揮毫という日常とは違う意識も働いていることになりますが、これは特に何かを構えて意識したときの行動、対人関係の表れになるかと思います。 斎藤茂吉は、この色紙では、一文字一文字、上下左右や文字間を等間隔にきちんと並べて配置する書き方です。これは全体への配慮や文字と文字の間をあけて落ち着いた書き方です。一つ一つ確実に計算して訂正に行動する傾向が見えます。几帳面といってよいでしょうか? 茂吉の性格をネット検索すると、何事も準備を十分にし、独自の価値観を持ち、とことん極める傾向があるようです。半面、他人に厳しい面もあります。行書体で書かれていますので、感性も感情も豊かな面もあるようです。

2021年9月27日

仙波東照宮と右から書いています。高田早苗書と印が押されています。(川越仙波東照宮)

川越市の仙波東照宮に徳川家康公が祀られています。その階段下の右側に仙波東照宮の沿革碑があり、その題字を書いた人はどんな人でしょうか?

筆跡特徴で大きく目立つのは、「横線右下がり」です。

これは、一般に右上がりが多い中で、少数派を行こうとする傾向で、常識や一般などにはちょっと待てよ!とよくものごとを考えて行動する人に多い書き方です。したがって、見方がユニークであったり、じっくり考えたり、違う角度から物事を捉えたりして行動する傾向があります。このことは「筆跡の科学」森岡恒舟著に拠れば、評論家、学者、文化人に多いと書かれています。

普通、碑の題額は篆書体が多いのですが、「行書(連綿~線がつながる)」で書かれています。この辺も一般とは違います。また、連綿は、同じく森岡は、「情緒、伝統に魅かれて人情味がある。穴六の江戸時代型。」また、同じ太さで続け書きする強連綿傾向もあり、これも同じく森岡は「自信家型、集中力に優れる」と書いている。さらに、接筆(画と画が接する所)はきちんと閉じて接しています。

「接筆閉」、これも森岡によれば、小学校で習った書き方をずっと大人になった今でも忠実に書いているので「まじめ、潔癖、几帳面、ただ物事を決めてかかえい、融通が利きにくい面もある」とあります。

また行書であるのに、折れ曲がる所「転折」は、普通行書は丸くなりますが、角張っています。「転折角」です。この行動傾向も、森岡によれば、「几帳面、ルール通り行動する」とあります。自分の基準からぶれない行動をする人のようです。

もう一つ、文字の筆画の空間のとり方が急に狭くなることのない等間隔性を保っています。「等間隔」は、森岡は「平等の概念や等価の集積になるコンピュータ理論ともつながりを持つがいねんです。さらに言えば、部分的に苦しいところがないわけですから、理論や話の中にどこにも区がない、考え方の硬性も理路整然としていて無理がないということに通じるかもしれません。」と述べています。

最後に右に傾いた字形になっていますね、「右傾」といいますが、これについても森岡によれば「本人は、傾いているのが安定していて、一般には不安定で、転倒、挫折、失恋、倒産等のあまり好ましくない事態に陥りやすい傾向があります。その一方でこの書き方の人には優秀な人、天才肌の人も多いのです。」とあります。

高田早苗とインターネットで検索すると、次のように出てきます。ウィキペディアより。

1860年4月4日(安政7年3月14日)、江戸・深川(現在の東京都江東区)に生まれる。神田の共立学校(現・開成中学校・高等学校)や官立の東京英語学校(のちの一高)などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年(明治15年)に東京大学文学部哲学政治学及理財学科を卒業。法学者の小野梓と知り合い、大隈重信の立憲改進党に加わった。また、大隈と共に東京専門学校(現在の早稲田大学)の設立にも参加し東京専門学校評議員・講師となり、早稲田の運営に力を注いだ。1887年から1890年末まで読売新聞主筆[3]。1901年、法学博士。1907年、早稲田大学が総長・学長制を敷くと、初代学長に就任(初代総長は大隈重信)。1923年(大正12年)5月から1931年(昭和6年)6月まで同大総長[2]。1928年、帝国学士院会員。

教育者として早稲田大学の運営に携わる間に、1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に埼玉二区(現川越市)から立候補し全国最年少で当選、立憲改進党系の政党に参加し、通算6期務めた。主筆退任の時期は第一帝国議会召集の時期に重なる。1897年第2次松方内閣(大隈と連立した松隈内閣)で外務省通商局長、1898年第1次大隈内閣(隈板内閣)で文部省参事官、高等学務局長、参与官兼専門学務局長となる。1897年、外務省に入るに際して株主として経営に参画していた読売新聞からの退社を広告した[4]。1903年12月の議会解散以後は政界から暫く離れた。

1915年5月19日貴族院議員に勅選され[5]、また、8月には第2次大隈重信内閣の内閣改造で文部大臣として入閣した。

早稲田大学の式服や式帽、校旗などを定めることを発案し、職制なども定め、また、早稲田大学教旨の制定を発議した[6][7]。現在、早稲田大学にある高田早苗記念研究図書館は、高田の早稲田大学への功績をたたえて名づけられた。

1925年(大正14年)3月23日、仮放送を開始したばかりのラジオに出演、「新旧の弁」と題する講演を行った。これが日本最初の教育放送である[8]。

1931年(昭和6年)6月、病気を理由に早大総長を辞任。翌月10日の臨時維持員会は高田の名誉総長推薦を決議したが[9]、高田はこれを固辞して悠々自適の隠居生活に入った。1938年(昭和13年)12月3日死去。葬儀は大隈講堂で大学葬により行われた[10]。

妻は前島密長女。戒名は明教院顕誉半峰居士。墓所は豊島区駒込の染井霊園。

高田早苗-Wikipedia

如何でしたか?筆跡から読み解く人物像~書くという行動と共通する個々人の行動の関係でした。川越から議員に出馬しています。

仙波東照宮と右から書いています。高田早苗書と印が押されています。(川越仙波東照宮) 川越市の仙波東照宮に徳川家康公が祀られています。その階段下の右側に仙波東照宮の沿革碑があり、その題字を書いた人はどんな人でしょうか? 筆跡特徴で大きく目立つのは、「横線右下がり」です。 これは、一般に右上がりが多い中で、少数派を行こうとする傾向で、常識や一般などにはちょっと待てよ!とよくものごとを考えて行動する人に多い書き方です。したがって、見方がユニークであったり、じっくり考えたり、違う角度から物事を捉えたりして行動する傾向があります。このことは「筆跡の科学」森岡恒舟著に拠れば、評論家、学者、文化人に多いと書かれています。 普通、碑の題額は篆書体が多いのですが、「行書(連綿~線がつながる)」で書かれています。この辺も一般とは違います。また、連綿は、同じく森岡は、「情緒、伝統に魅かれて人情味がある。穴六の江戸時代型。」また、同じ太さで続け書きする強連綿傾向もあり、これも同じく森岡は「自信家型、集中力に優れる」と書いている。さらに、接筆(画と画が接する所)はきちんと閉じて接しています。 「接筆閉」、これも森岡によれば、小学校で習った書き方をずっと大人になった今でも忠実に書いているので「まじめ、潔癖、几帳面、ただ物事を決めてかかえい、融通が利きにくい面もある」とあります。 また行書であるのに、折れ曲がる所「転折」は、普通行書は丸くなりますが、角張っています。「転折角」です。この行動傾向も、森岡によれば、「几帳面、ルール通り行動する」とあります。自分の基準からぶれない行動をする人のようです。 もう一つ、文字の筆画の空間のとり方が急に狭くなることのない等間隔性を保っています。「等間隔」は、森岡は「平等の概念や等価の集積になるコンピュータ理論ともつながりを持つがいねんです。さらに言えば、部分的に苦しいところがないわけですから、理論や話の中にどこにも区がない、考え方の硬性も理路整然としていて無理がないということに通じるかもしれません。」と述べています。 最後に右に傾いた字形になっていますね、「右傾」といいますが、これについても森岡によれば「本人は、傾いているのが安定していて、一般には不安定で、転倒、挫折、失恋、倒産等のあまり好ましくない事態に陥りやすい傾向があります。その一方でこの書き方の人には優秀な人、天才肌の人も多いのです。」とあります。 高田早苗とインターネットで検索すると、次のように出てきます。ウィキペディアより。 1860年4月4日(安政7年3月14日)、江戸・深川(現在の東京都江東区)に生まれる。神田の共立学校(現・開成中学校・高等学校)や官立の東京英語学校(のちの一高)などで英語を学び、大学予備門を経て、1882年(明治15年)に東京大学文学部哲学政治学及理財学科を卒業。法学者の小野梓と知り合い、大隈重信の立憲改進党に加わった。また、大隈と共に東京専門学校(現在の早稲田大学)の設立にも参加し東京専門学校評議員・講師となり、早稲田の運営に力を注いだ。1887年から1890年末まで読売新聞主筆[3]。1901年、法学博士。1907年、早稲田大学が総長・学長制を敷くと、初代学長に就任(初代総長は大隈重信)。1923年(大正12年)5月から1931年(昭和6年)6月まで同大総長[2]。1928年、帝国学士院会員。 教育者として早稲田大学の運営に携わる間に、1890年(明治23年)、第1回衆議院議員総選挙に埼玉二区(現川越市)から立候補し全国最年少で当選、立憲改進党系の政党に参加し、通算6期務めた。主筆退任の時期は第一帝国議会召集の時期に重なる。1897年第2次松方内閣(大隈と連立した松隈内閣)で外務省通商局長、1898年第1次大隈内閣(隈板内閣)で文部省参事官、高等学務局長、参与官兼専門学務局長となる。1897年、外務省に入るに際して株主として経営に参画していた読売新聞からの退社を広告した[4]。1903年12月の議会解散以後は政界から暫く離れた。 1915年5月19日貴族院議員に勅選され[5]、また、8月には第2次大隈重信内閣の内閣改造で文部大臣として入閣した。 早稲田大学の式服や式帽、校旗などを定めることを発案し、職制なども定め、また、早稲田大学教旨の制定を発議した[6][7]。現在、早稲田大学にある高田早苗記念研究図書館は、高田の早稲田大学への功績をたたえて名づけられた。 1925年(大正14年)3月23日、仮放送を開始したばかりのラジオに出演、「新旧の弁」と題する講演を行った。これが日本最初の教育放送である[8]。 1931年(昭和6年)6月、病気を理由に早大総長を辞任。翌月10日の臨時維持員会は高田の名誉総長推薦を決議したが[9]、高田はこれを固辞して悠々自適の隠居生活に入った。1938年(昭和13年)12月3日死去。葬儀は大隈講堂で大学葬により行われた[10]。 妻は前島密長女。戒名は明教院顕誉半峰居士。墓所は豊島区駒込の染井霊園。 高田早苗-Wikipedia 如何でしたか?筆跡から読み解く人物像~書くという行動と共通する個々人の行動の関係でした。川越から議員に出馬しています。

2021年9月7日
Andoroid版とiOS版で利用は無料です。早速使ってみました。

国立国会図書館デジタルコレクションの「有馬山温泉小鑑」の冒頭の目録部分を「みを」を使って試してみました。だいぶ読めます。いくつか間違っているところもありますが、修正機能もあり、テキスト化も可能です。90%前後解読します。しかし、書道の草書作品や手紙類はまだまだのようです。「こと」などの合字などはこれからの課題のようですが、これで大変助かる人もいるかと思います。同じようなくずしを文章の流れからどう読むかも課題であると思いました。


2021年8月25日
毛筆で書くこととスマホ・タブレットの違い
SNSなどの心配以外に、脳や心への影響が大きいから!

筆記具、特に毛筆小筆で言葉(文字)を書くことは、指先に神経を集中し、目を使い、書かれる対象の紙などとの微妙な小刻みに震える感触や筆圧の関係を瞬時に感じ、脳と神経を通してやり取りしながら書き進めていく。

このことは、パソコンやスマホを扱う便利な機器とは大きく異なっている。そのことをよく知っているIT関連の人物の話を紹介します。携帯電話やスマホの弊害について、既ににご存じの方も多いと思いますが。制限が必要のようです。

→スティーブ・ジョブズは
わが子になぜiPadを触らせなかったのか?

といった副題がついていましたが、
結論としては「悪影響があるから」だったそうです。

スマホに依存すると、
集中力が低下し、孤独感が強まり、
心の不調に陥る危険性があるとして、
デジタルデバイスを触らせなかったそうです。

さらには、
マイクロソフト創業者のビル・ゲイツも、
子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったそうです。

悪影響があるのは大人も同じで、
フェイスブックの「いいね」機能を開発した
ジャスティン・ローゼンスタインは、
自分のフェイスブックの利用時間を制限し、スナップチャットをやめ、
スマホ利用を制限するアプリまでインストールしているそうです。

それほど、現代人の脳は危険にさらされており、脳の状態も良くないようです。

とはいっても、
仕事をするうえでパソコンやインターネットは欠かせないですし、
日常生活をするうえでもスマホを使わないのは無理がありそうです。

じゃあ、どうしたらいいのか? ってことですが、

制限するのにも無理がありますし、
自分で脳のケアをするしかないでしょう。

そんなこと出来るの?

非常に興味深い手法があるそうです。

頭蓋骨を自らハンドケアすることで、脳の機能を高めるという方法だそうです。

ちょっと怪しいなとも思ったのですが、
ベースとなっているのは日本に昔からある「手当」だそうで、
副作用もないし、自分で出来るというのも良いですね。

それに、40万人以上の臨床で結果が出ていて、
著名人、有名人、モデル、俳優、歌手、プロスポーツ選手なども
密かに取り入れているそうです。

2018,3「The Times」などを引用

私は「手当」にも賛成ですが、脳の活性化に「手書き」、特に小筆による新しい内容を紙に書くことをお勧めします。俳句でも短歌でも水彩画でも創造力を働かせ脳に刺激を与えましょう。何でもマンネリを防ぐことが必要と考えます。

毛筆で書くこととスマホ・タブレットの違い SNSなどの心配以外に、脳や心への影響が大きいから! 筆記具、特に毛筆小筆で言葉(文字)を書くことは、指先に神経を集中し、目を使い、書かれる対象の紙などとの微妙な小刻みに震える感触や筆圧の関係を瞬時に感じ、脳と神経を通してやり取りしながら書き進めていく。 このことは、パソコンやスマホを扱う便利な機器とは大きく異なっている。そのことをよく知っているIT関連の人物の話を紹介します。携帯電話やスマホの弊害について、既ににご存じの方も多いと思いますが。制限が必要のようです。 →スティーブ・ジョブズは わが子になぜiPadを触らせなかったのか? といった副題がついていましたが、 結論としては「悪影響があるから」だったそうです。 スマホに依存すると、 集中力が低下し、孤独感が強まり、 心の不調に陥る危険性があるとして、 デジタルデバイスを触らせなかったそうです。 さらには、 マイクロソフト創業者のビル・ゲイツも、 子供が14歳になるまでスマホを持たせなかったそうです。 悪影響があるのは大人も同じで、 フェイスブックの「いいね」機能を開発した ジャスティン・ローゼンスタインは、 自分のフェイスブックの利用時間を制限し、スナップチャットをやめ、 スマホ利用を制限するアプリまでインストールしているそうです。 それほど、現代人の脳は危険にさらされており、脳の状態も良くないようです。 とはいっても、 仕事をするうえでパソコンやインターネットは欠かせないですし、 日常生活をするうえでもスマホを使わないのは無理がありそうです。 じゃあ、どうしたらいいのか? ってことですが、 制限するのにも無理がありますし、 自分で脳のケアをするしかないでしょう。 そんなこと出来るの? 非常に興味深い手法があるそうです。 頭蓋骨を自らハンドケアすることで、脳の機能を高めるという方法だそうです。 ちょっと怪しいなとも思ったのですが、 ベースとなっているのは日本に昔からある「手当」だそうで、 副作用もないし、自分で出来るというのも良いですね。 それに、40万人以上の臨床で結果が出ていて、 著名人、有名人、モデル、俳優、歌手、プロスポーツ選手なども 密かに取り入れているそうです。 2018,3「The Times」などを引用 私は「手当」にも賛成ですが、脳の活性化に「手書き」、特に小筆による新しい内容を紙に書くことをお勧めします。俳句でも短歌でも水彩画でも創造力を働かせ脳に刺激を与えましょう。何でもマンネリを防ぐことが必要と考えます。

最新のお知らせ

2024年4月13日
「女子消息文の手ほどき」も65段まで読み進めました。次回は66段「転居報知の文(てんきょほうちのふみ)」から読み進めます。

当時の手紙文の言葉の使い方や言い回しが時代を感じさせます。「引っ越し」を「引き移し」等。

2024年4月2日
川越筆跡研究所での陶印づくりは4月14日(日)13:00~16:00の予定です。

入口前

 

受付

 

陶印と書


陶印

 

いろいろな手工芸品もありました。

 

収集家の俳句と画

第1回陶印等小作品展が三番町ギャラリーで開催し、無事終了いたしました。ご高覧、ご協力をいただきました皆様に感謝申し上げます。合わせて筆跡による行動分析(筆跡診断)や筆跡鑑定、くずし字解読などについて紹介させていただきました。筆跡診断体験や中国陶印篆刻体験をされた方々にも感謝申し上げます。また次年度開催予定です。更に出品をしていただけるとの声もあり本当にありがたいことです。


入口はいったところ

 

インテリアの書展
受賞作2点

 

入口より中を撮影


花舞(はがき)

 

ねがい(はがき)

 

希望(手漉き和紙はがき)

2024年3月13日

15日(金)午前中及び17日(日)午後1時~3時は川越筆跡研究所で行ないます。

焼成前の陶印などです。

焼成後の作品と肌色の絵付けしてない作品は素焼きしたものです。

最新のブログ

2022年11月21日
資料を研究などに提供してくださる場合は格安で解読します。

額の文字の解読

これは、友人である俳誌「軸」を主宰し、なおかつ千葉県野田市で俳句図書館を運営している秋尾 敏氏の依頼によってくずし字を解読を協力にいたりました。図録が500円で頒布されています。機会あらば、ぜひ江東区芭蕉記念館を訪れゆかりの地など周辺を散策するのも良いかと思います。


署名の解読及び落款印の解読

明治時代のハガキの例

2024年2月26日
川越駅東口から徒歩3~5分のところにある三番町ギャラリーで陶印づくりを楽しんでいる仲間と初めて展覧会を開催します。賛助出品者からサンドブラスト作品・万華鏡・陶器の茶器・収蔵の皇帝印璽・書画など展示予定。ただただおしゃべりをして失敗を楽しみ次に活かしています。

中国陶印は印刀で彫れて持ち帰り可能です。体験も実施しています。また日頃研究している筆跡セラピー(筆跡診断)も実施しています。

  • 中国陶印篆刻体験(材料込1,500円) 筆跡セラピー(15分500円)
  • ご高覧いただき、御批正賜れば幸甚に存じます。

    陶印・筆置き・ペーパーウェイト・ミニ下駄等、陶器の小物や小品書・その他雑貨小物があります。

    2023年10月11日
    2023.9.14日(木)から2024.1.21日(日)まで東京都江東区芭蕉記念館において開催されている「旧派再考~子規に『月次』といわれた俳家たち~」という企画展の図録に掲載されている軸・短冊・色紙など50点の俳句翻刻に協力しました。

    これは、友人である俳誌「軸」を主宰し、なおかつ千葉県野田市で俳句図書館を運営している秋尾 敏氏の依頼によってくずし字を解読を協力にいたりました。図録が500円で頒布されています。機会あらば、ぜひ江東区芭蕉記念館を訪れゆかりの地など周辺を散策するのも良いかと思います。


    俳句翻刻を協力した図録です。

    東京都江東区芭蕉記念館企画展「旧派再考~子規に『月次』といわれた俳家たち~

    2023年4月18日
    大変味わい深い文章と筆跡と思い引用させていただきました。

    「埼玉・人とこころ」令和5年度特集号に小暮晴彦氏の渋沢栄一講座と題された中に、本多静六博士の書簡が一通紹介されていました。内容はその記載の中でも紹介されていますが、手紙の全文は解読されていませんでしたので、試しに解読してみました。間違いなどありましたらご批正ください。

    「埼玉・人とこころ」令和5年度特集号より引用~小暮晴彦氏の記事~


    筆者の解読文

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